延々と着地のない愚痴や文句、「私なんて〇〇だよね」のヨシヨシを求めるような卑屈さ、好きだと言っている人に対して「でも〇〇じゃんw」が嫌なのは理解できます。
ただ、それ以外のネガティブってそんなに嫌なものでしょうか?
「物はいいけどめちゃめちゃ高いよね」
「あれ苦手だわー」
「超嫌だった」
みたいに、悪感情が時には話題になったり、それがきっかけで深い話にまでなることだってあります。
また、付き合いの浅い人間には自らの欠点や悪感情を見せると一気に仲良くなれることもあります。
私的にはネガティブな感情を無理やりポジティブに繋げるほうが苦手なんですが、ネガティブそのままは苦手な方のほうが多いのでしょうか?
たとえば「歩くの大変だよね。でも楽しいから!」などと、「でもいいところもあるよね」と無理矢理いい部分を見つけて、ネガティブな部分をまるでなかったようにしているのがすごく不自然に感じます。
※例えが下手くそなので「そんなんいちいち口にすんな」という意見が出そうですがあくまで例えとさせてください…。
好きな部分が合う人よりも「アレ嫌だね」が一緒の人のほうが仲良くなれそうですし、ずっと聞こえの良い言葉を言っている人は本心が分からないのでずっと警戒してしまいます。
人柄が良い、朗らかな性格なのは理解していますし、きっと汚い部分を人前で露呈しないのだろうとも想像はできます。
が、信用が出来ません。
この考えを読んで皆さんはどう思いましたか?
基本的にネガティブなことを口にしない人が好かれるのは分かっています。
何故ネガティブなことは一般的に嫌とされているのでしょうか?
この相談の回答期限は終了しました
「物はいいけどめちゃめちゃ高いよね」は事実の話だし、
ネガティブとも言わない気がする。
最初に。
それで仲良くなれると思うのであれば、別にいいと思いますよ。
人それぞれですから。
私の考えです。
ポジティブな人が好かれる理由って、ポジティブ自体が良いのもありますけど、
相手への思いやりがあるから好かれているんだと思います。
ネガティブ多めの人ってこちらが何かしたこともマイナスに受け取りがちだし、
聞く相手のことを考えていないなと思えるので、嫌だと思ってしまいます。
一緒にいると疲れるし、自分も振り回されるし、何も生まれないことを分かっていない。
何も生まれないっていうのは、例えば成長だとか楽しい気持ちだとか。そういうもの。
限られた人生ですから、どうせなら楽しい気持ちになる人と一緒にいたいですし、
疲れる人とは一緒にいたくありません。
好きになるか?なりません。
「歩くの大変だよね。なーんでこんなところに来ちゃったんだろ。足も痛いしさー」
「歩くの大変だよね。でもゴールで◯◯食べれるし温泉も入れるし、めっちゃ楽しみだわ」
後者を言える人となら次も遊びたいってなるかな。私なら。
「足痛いよね〜嫌だよね〜ほんと無理〜」
これを言い合って仲良くなったところで…何が残るんだ?ってなる。
それに本当に上手い人だと、
ポジティブとネガティブ両方とも上手く使い分けていたりしますよ。
たまーに見せる弱音や愚痴だったら聞いてあげたいと思わせるし、
助けになれたらいいなと思わされますから。
無理矢理いい部分を見つけて、
ネガティブな部分をまるでなかったようにしているから好かれているのか?
そういうことではないと思いました。
なんでも毒づいて、噛みついて、暗闇の女王のそのスタンスやりたいならやり続ければ良いと思うよ。人に好かれるために思ってもいない綺麗なことは言えないってことよね?
批判精神は悪いことではないよ。
わかりますよ、耳障り良いことばかり言う人ってたまにいるから、そう言うのに限って差別っぽいことポロって言ったりしますしね、でもねそこもその差別の部分が好みだったりしたら気が合うってこともあるしね。
人に良く思われようとしてる人は分かります、そして自然体で本当に人格者はいます、それを見分けられると良いですね。
ネガティブな人が嫌なのは、せっかくのデートやプレゼントなどを台無しにされることが多いからです
自分の好みじゃなかったとか楽しくない時間だったことは譲れるんですが、それはっきり言われて次回また行動したいかって言われると無理だしお店にも失礼だから一緒に出かけたくないんです
子どもじゃないしよほどの金持ちでもないなら足るを知ってほしいと思います
愚痴って口に出すことでスッキリすると言われますが、勉強の音読と同じで嫌な記憶を脳に復習させる行為なんだそうです
あと悪い感情や言葉って自分だけでなく周囲の気力を削ぎます
職場だと雰囲気も悪くなって士気も下がり迷惑ですし、良い人は離れていってしまいます
悪い感情を表現することに慣れてしまうと、年数を重ねるごとに容貌にも悪い影響を及ぼします
良いところもあるよねって言うのは、お世辞ということもあると思いますが、何にでも良い面悪い面ってありますよね
物事の良い面になるべく目を向ける
相手のいい面に目を向けてあげると、その人の自信につながって本当に良くなっていったりすることもあるんです
一緒にいるこちらまで楽しくなるし相乗効果でいいことしかありません
私自身元々僻みっぽい性格でしたが、悪いことしかないなと思うようになってから改善するように心がけました
それによって今の所悪い影響はありません
言い方次第な気がします。
例えば同じ物を飲食店で食べてて
※不味い
と言う人に対しては嫌煙します。
でも不味いと思う理由ってありますよね。
匂いとか味付けとか食感とか。
※この匂い苦手。肉の匂いちょっと無理。
とか言うならわかります。
私も牛肉の匂いを感じると食べれないので。
価格に感しては
※うわっ。高。
とか普通に言います。
そこは金銭感覚を計る上で大事なので、お互いに口に出して言えるのは良いと思う。
以前、3000円のハンバーガーを彼女が食べに行きたがった時があるのですが。。。
※ハンバーガーに3000円は流石に無いよ
と言いました。
同じ映画を見て面白く無いとか面白かったとかの感想は受け手の感じ方があるのでまぁ良いかな。
それも具体的にここがこうでクソだった、とはっきり言える方が良いですね。
単に面白くないとかだと。。。この人頭悪いのかなって思っちゃう。
相手の好意を無にする様な、バッサリ切る発言は人として嫌われると思います。
理由込みで言えるならそれは1意見としてお互いに尊重出来るしされるのでわ?
愚痴ならいいのではないでしょうか。
ただし、ずっと同じ事を言う方ってご自身で改善、または目を瞑ることが出来ないモヤモヤを他者に当てているだけな気がしますので、同じ事を言う方と一緒にいると疲れてしまいます。
ずっと聞こえの良い言葉を言っている人とは、きちんと仲良くなれていないでしょう?仲良くなれば違う一面も見せてくれると思いますよ。
これはネガティブがいいか悪いかという一般論ではなく、
「ネガティブな感情こそがその人の本音で、綺麗な言葉は表面を取り繕っている単なる建前である」という思い込みと、
「ネガティブな共感をフックにしないと相手を信用できない」という、あなた固有の問題だと思います。
今思うと、私も小中学校で少人数の友達グループに所属してた頃は、嫌いなものを共有して共感するのが友情の証、みたいな価値観でしたね。それが出来ない子はハブられたりいじめられていたし。
高校で初めて出来た親友であり初恋の人がそういうのとは真逆のタイプだった影響で転向しましたが。
彼女は根っから朗らかでもないし、それほどポジティブな人間でもありませんでしたよ。
どうでもいいようなことで傷ついて悩んですぐ泣くし、子どもの頃の些細な出来事がトラウマになってそれに縛られ続けていて、すごく不自由で生きづらそうだし。
ただ過去に辛い思いをしたことがあって、自分の言葉が目の前の人に大きな影響を与え得ることや、言葉が人間にとっての現実を作ることをよく理解している人でした。
「歩くの大変だよね。でもこんなに長い時間二人で並んで一緒に歩くことって普段無いから私は楽しいよ」って言われると、疲れなんてどうでもよくなって本当に楽しくなるんだよ。
そういう感性を通して嫌なこと、辛いこと、つまらないことの意味を読み替えてくれる人と一度でも深く関われば、価値観は変わると思います。
ネガとポジって言うと対概念みたいだけど、ネガティブな感情を感じるままに吐き出すだけの人とそれをポジティブに変換して表現する人って、やっていることの次元が違う気がします。
形而上学的な会話ができない人とできる人くらいの差があるんじゃないかな。
私はポジティブに言い換えようと心がけている人の方が好きだし、信用していい人が多いと思っています。
そしてそういう人から発せられるネガティブな言葉を聞いても別に嫌だとは思いません。しんどいことも苦手なことも気に入らないこともあるでしょう。人間だもの。