片思い25年は異常ですか。

なんでも相談人生相談片思い25年は異常ですか。
片思い25年は異常ですか。
石になりたい女   2024/7/23(火) 23:12



  • 過去ある女性に恋心を抱きました。しかし、自分が女性を愛することを受け入れることが出来ず、逃げるように離れました。あれから25年経ちます。忘れようと、男性と付き合って、過去の想いは全て気のせいだと思おうと頑張りましたが、忘れようとしても、その女性の事を思わなければ、性的に感じることさえありません。その女性とは実際に性交はせず、服越しに抱き締められただけですが、血が、燃えるような思いでした。相手の男性とは八年前別れました。退屈で不毛な関係でした。二度と繰り返したくありませんので以降誰とも指一本触れていません。しかし夜ごと、離れた女性を思うあまり気が狂いそうです。誰とも触れあわないことに対し淋しさを感じますが、私は異常ですか。人を求める感情に対して、もはや憎しみさえ抱いております。生身でありたくないとすら思います。自分自身を否定せずに誰かを愛してみたい感情にも吐き気がします。私は人でいたくないのだろうかと最近疑うようになり始めました。この25年、無機物と過ごす時間だけが一番の私の救いになっています。

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    君と綴るうたかた1

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    回答数:9
    ベストアンサー
    ハァ? |2024/8/2(金) 1:38 |ID:1060055

    このエロ作家まだここでナルシズム満たしてんの?

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    r |2024/7/24(水) 0:13 |ID:1055792

    もう会えない方ですか?
    自分の人生の大切なこと気づかせてくれた女性として、心の奥に一度しまって、執着を捨て去り、こんなにもひとりの人を想える自分をまずは愛してください。

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    石になれない女 2か月前

    ありがとうございます。誰かを身代わりに立てるように男性を愛するよう努力する事は、やはり相手にも伝わらずにはいなかったのだろうと今にしては思います。彼は私に溺れて行きましたが、私の心身には溶ける事のない凍りついた想いがあり、同じようには溺れることはありませんでした。それが彼には不安だったのでしょう。彼が私にしてきた試し行動の数々は本当に心底愛されていないことへの抵抗で叫びだった。私はそれに従い、尽くしては来たものの、必要なことはそんなことではなかった。八年前別れたのは、私が度重なる彼の行う試し行動により、精神が限界を迎え、狂ってしまったことによります。彼は私以外の女は愛せないと、死んでも無理だと治してくれようと手を尽くしてくれました。しかし私は、もう狂うわけにはいかないため別れを決断しました。彼には気の毒なことをしました。人といることは罪なのか?結局こんな結末しか、迎えられない自分自身に嫌気がさしてしまいました。しかし八年経つことで、気持ちの整理をしようと、振り切ろうと、ようやく初めてここに、相談する事が出来ました。お答え下さり、ありがとうございます。人間は石にはなれません。この想いを自分自身の恥として、墓場まで持って死んでいくべきであろうとも思いましたが、どうしても、自分自身から逃げ出したままでいたくなかった。一体、全体、自分自身が何なのか、知りたくはなかったけれど、見つめ直そうと思っています。

    r |2024/7/24(水) 0:13 |ID:1055793

    もう会えない方ですか?
    自分の人生の大切なこと気づかせてくれた女性として、心の奥に一度しまって、執着を捨て去り、こんなにもひとりの人を想える自分をまずは愛してください。

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    石の子 1か月前

    いつも想い続けている。惨たらしい程に。幾度、自分自身の首に手をかけるように、自分の心を締め上げて来たか、わからない程に。私を抱き締めたあの女性とは出会うわけにはいかなかった、なぜ出会ったのだと、吐くようにうめいた。憎い、貴女が、しかし一番憎いのはここにむざむざと生きる私だと、激しく頭をかきむしった。そう、愛したことは無いのだろう、私は、私を、恨み憎むことはあったろうけれど。そして、本当に憎むことは出来なかった、あの人の面影を、声を、幾千も再生する。そう、しまい込んだ事は無い。25年の月日を経ても色鮮やかなままの彼女は決して老い、衰えることは無い。しかし、お別れだ。生身であることの限界だからだ。もう十分だ。たくさんだ。そう、自分に声をかける。もう、やめろ。やめてくれと、声をかける。心も魂も、半分以上引きちぎられたように思いながらも、それでも生きざるを得ないから、生きるために、さようならだ。あの日身につけていた香水の瓶は、未だにお守りのようだったけれど、それを嗅いでしまうと一瞬でよみがえる、あの日の出来事が全て。今じゃ入手は出来ないものだが、もう必要は無い。私は最後にそれを思い切り嗅いで吸い込むと、処分した。体の端々に眠る感覚が軋むように発火してゆく。忘れるなと叫ぶようだ。それでいい。これからが、弔いだ。切り落とされた長い髪が、うずたかく足元から拭い去られるように、私は貴女を忘れてゆくだろう。と、過去の記憶に告げる。恐らく次に会うときは、地獄かもしれないが、その時お互いが、お前は誰だと言わない程度に若ければとかすかに願う。それまでは忘れていたい。自分を愛する気持ちは失って久しいが、一番優しい言葉をかけてみる事から始めようとしている。

    い |2024/7/24(水) 2:42 |ID:1055833

    異常とは思わないですが、なかなかいないだろうなとは思います。
    会えない方をずっと思い続ける日々は気が狂いそうにもなるなと。

    ダメ元でもいいので、新しい出会いの場に出向いてみてください。
    なかなか巡り会えないかもしれませんが、
    やはり人を癒せるのは人かなと私は思います。

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    石になれない女 2か月前

    彼女は名家の跡取りで、結婚も決まっておそらく今は子供もいるでしょう。逃げるように離れたのは、彼女に家を守ってもらいたかったこともあります。私も継がなければならない家があり、介護も待ったなしでしたので、共にいられる状況では、そもそもなかった。今は合わせる顔は無いですし、逢うべきでもないでしょう。しかし、一度の服越しの抱擁のみを心に抱いて生きることにも、限界を感じております。人といればお互いの身の破滅とばかりに全く、出会いの場も方法も検索すらかけず、性的な本すら買わず、電車の中で素敵な人を見ても、違う車両に移動し、見ないように気をつけておりましたが、その努力は止めようと思いはじめています。

    あ |2024/7/24(水) 3:05 |ID:1055835

    異常ですね
    恐らく人の執着心を制御する帯状回の機能が高いです
    男性的な脳だと思います
    この機能に問題があるとストーカーなどになります
    ただ経緯を読ませていただいて、それだけ強烈に執着してしまう理由もあるようです
    私が読み取るに、まず第一に主様はその女性が本当に好きだったのに、自分の気持ちが受けいれることができなかっばかりに、すべてを失ってしまった過去の自分を猛烈に後悔しています
    彼女はのことは、他に代わりがいないくらい好きなんだと思います
    その後に、ご自身の人生を他の男性と歩んでみて、もっと自分のことがわかってしまい、彼女のような素敵な相手に出会うことなんて将来絶対ないだろうと確信して人生に落胆していそうです
    この状態には、向精神薬もカウンセリングもあまり効かないと思います
    薬は神経伝達物質の制御はできますが、主様の強烈な後悔まで消すことはできません
    カウンセリングで誰がに話したところで、気休め程度くらいしかならない思います
    恐らくカウンセラーより、主様のほうがこの件について詳しいので、話してカウンセラーに違和感を感じるレベルだと思います
    私は、主様が過去の自分を少しでも受けいれられるようになって、新しい出会いのために少しづつでいいから行動できるようになっていって欲しいと思ったのですが、そんなことを言われたところで、どうにもならない話だということを、主様は良くご存知だと思います
    きっと苦しいですよね
    私には、主様の時間が、そのときから止まってしまっているように見えます

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    石になれない女 2か月前

    ありがとうございます。合点が行くご回答です。私は見た目は女性的でしたが、心は、ほぼ男性だったようで、彼も、私とは同性愛の関係に極めて近いことを認めていました。誰と話しても男と話しているようだとしか言われません。彼女が、私の前で服を脱ぎ、誘惑をしてきたとき、私は理性が消し飛びそうでしたが、お互い、女の身の上と、触れたい欲求を握り潰しました。こんな想いは抱くべきではないと、離れようとした私を抱き締めた彼女に対して、つい応じてしまい、意識が混乱の極みになり、このまま、彼女を誰の手にも届かない所まで連れて行ってしまいたいとさえ思いました。そんな自分自身の姿を直視する事が私には恐ろしくて出来なかった。そして、後ほど、カウンセリングを受けましたが、私には絶対に開けてはならない過去の傷があるらしく、どうも人を本気で愛すると、そのフタがゆるむそうで、催眠療法でそれを治療する事も出来るが、衝動的な自⚪のリスクが高いと言われています。よって解決策は誰も愛さないこと、または、リスク覚悟で治療する事のようでした。生きるためとはいえ、時を止めることは、苦しいことです。今は、もう守りに入るのは終わりにしたい気分です。
    ありがとうございました。

    あ 1か月前

    1点質問いいですか?
    「どうも人を本気で愛すると、そのフタがゆるむそうで」とありますが、主様がおっしゃっている女性とは別に実際そうなった経験があるのでしょうか?
    彼女以外の人を本気で愛しそうになった経験があるのですか、という意味です

    自分がわからない 1か月前

    今のところ、精神科医が言うにはですが、逃げるように彼女から去った時の恐怖感が、ただの同性愛嫌悪では説明がつかず、その後の人生で、重篤な解離性障害を発症したのも、過去に受けた心理的外傷の疑いが強いということでした。彼女と別れた後で交際した男性のことは、努力はしましたが、本気で愛そうと手は尽くしましたが、度重なる試し行動により幻滅を与えられ続け精神が崩壊するまで疲弊しました。覚悟を決め本気で愛そうとは思いましたが、本気で愛せていたかは確たる自信はありません。力が及ばなかったように思います。多分彼女が現在までに最初で最後の、人生で一番愛した人だったのかもしれません。

    あ 1か月前

    多分、その男性は愛せていないと思うので、何かしらの心的外傷を抑圧していると担当の医師はお考えなんですね
    ということなので、やはり抑圧された感情と自 殺願望がセットと推測されているのかと思います
    私も抑圧されているものは、彼女との関係における記憶ではなく、まだ主様が意識されていないものだと思いました
    催眠療法を使える医師はあまりおらず、たぶん大学病院だと思うのですが、乖離性障害であれば納得です
    遺伝的な要因もあるとは思いますが、恐らく生育歴が過酷であったものと推測します
    乖離性障害は、生育歴のなかでとても受け容れられないことを抑圧して人格が形成されるなかで統合された人格の形成が出来なかったものです
    主様の状況は把握できましたので、ここでのアドバイスは控えさせてください
    素人には責任が重すぎます
    でも、私なら催眠療法ではなく、恋愛しないことでもなく、リスクを覚悟でもう一度恋愛してみたいです
    もしそれで過去の抑圧されたものが蓋を開けて出てきたとしても、ひとつひとつ丁寧に見つめ直して受け容れてあげることができたら、優秀な医師のサポートがあるのなら、私ならそれを選択してもう一度恋をしてみたいです
    たぶん、その医師はそこら辺のクリニックにいる医師とは比較にならないくらい優秀です

    少しわかった 1か月前

    ありがとうございます。やはり、男性の事を愛することは出来ていなかったと、今にしては思います。愛に強迫的な努力など、本来必要ではないはずだし、私には性交すらも不自然の極みで、ナメクジが全身を這い回るような不快感しか覚えませんでした。ただ、世の中の女は皆、これに耐えるのだろうと、歯を食いしばって頑張りましたが、それも無駄な努力だったのでしょう。私が本当に目を背けてきたのは、拷問が日常と化していた家庭だったのかもしれません。ほとんどの幼少期の記憶が、自分にはありませんが、兄はそれで壊れました。家に帰りたくないので、外が真っ暗になるまで森に隠れていた思い出が残っています。月の出た時間の森の中の方が子供の私には安全でした。まさか成人してから、傷から生血が吹くようにそれしきのことが自分を苦しめることになるとは思いもしませんでした。その後医師は、転勤になり、連絡もつかず、私は小さなクリニックを受診していますが三分間診療ですし、話してもまともに取り合わないため、別の医師を探そうと思っております。私も人間と生まれた以上は、せめて死ぬまでに、誰かと愛し合ってみたいものですので、燃えたぎるような苦しみと共に満身創痍で生きていますが、もう少しさまよってみます。サポートは残念ながら多分今のままだとありません。

    あ 1か月前

    私が思うのは、世の中は平等ではないということです
    それに、みんな主観で自分の世界を生きています
    自分の人生ですから、自分の人生を生きてください
    誤解を恐れずに敢えて言うなら、日本の自 殺者年間3万人の内訳のほとんどは経済苦から来るものです
    私にその責任は取れないので、ご自身の判断で行動はお願いしたいのですが、一度きりの人生ですから悔いのないように生きてください
    それで幸せだったと思えなかったら自分に対する嘘ですよね
    例え乖離性障害だったとしても、それは障害が大きいかも知れませんが、私ならそう思いますよ
    頑張れと言ってはいけないのかも知れませんが、私は主様に頑張って欲しいです
    それは無理して人を愛そうとかそういうのではなくて、自分が自然と受け容れられるような、抵抗のないものです
    どうせいつか消えてしまう存在なら、私はそう思って生きたほうが幸せではないのかと思うタイプです
    これは私の主観です

    石になれない女 1か月前

    ありがとうございます。長く、自分であることから、私は逃げて参りました。女の身の上でさえ無ければまともに彼女と向き合えただろうか、家の存続さえ優先しなければよかったろうか、女とは家のために生きて子々孫々の礎となるべしと古色蒼然たる価値観さえ我が物とせずにおれば、誰のことも悲しませずに済んだろうか、果たすべき義務とは何か、女の役割とは何かばかりをあまりにも考え過ぎたろうか、自分を責めない日は無いのですが、今はこう思います。誰かを納得させるために、人間の命はあるわけでは無いと。私が女性を愛する性質があるようだと周りに匂わすように詳細は伏せながらも、そのように告げた時受けた答えは、否定に次ぐ否定であり、まともに産んでやれなかったと親には泣かれました。自分は家への恩義を返す義務感から、男性と付き合いましたら、治癒したと喜ばれて大変な祝福を受けましたが、その実、最悪の日々でありました。振り返れば、自分をあざむくことへの罪とその罰しての日々であり、自分自身を救うことを後回しに人に尽くしても破滅的な結果が待つことを悟るのみでありました。昨日、長い髪を丸坊主に近いほど切り落としましたが、ようやく忌々しい女としての烙印が薄れたような思いでした。鏡を見ると自分が、あるべき姿で映ることに、喜びを覚えました。今まで生きてきた中で一番自分らしい姿だと思います。自分の本性を隠すため着ていたフリルやレースのついた服やドレスを処分し、飾りの無い服を増やしたりと、少しづつですが、無駄にしてきた時間を取り戻そうとはしています。経済的には幸いにしてさほど、困らず、一応まだ食べては行けます。自分より悲惨な境遇の方々を思えば、何ほどでもない悩みでありましたけれど、抱え続けたことが苦しみを増したのです。全てをこうして過ぎ去った事にすれば、もう背負わずに済むでしょう。丁寧に応じて下さりありがとうございました。このように話したら、まだ頑張ろうと思えるようになりました。

    あ 1か月前

    認められないものがあればあるほど、心は抑圧されます
    認められないのは、こうであるべきという厳しい理想が裏側にあるからです
    この厳しい理想が、現実で実現不可能なほど厳し過ぎる理想になってしまうと、些細な事実が認めらず、こうでなくてはならないと自分自身の行動を制限することになるため、自由に生きることができず苦しむことになってしまいます
    多くの場合、この厳しい理想は、実は幼少期に親が子に求めていたことであり、これは子どもの人格形成期にとってとても過酷な環境となります
    事実は事実として受けとめて、理想を追求するだけでなく、ときに合理的な判断ができるようになれば、やりたくないしできもしないことに命を擦り減らして全力で取り組まなくても済むようになります
    はっきり言って、主様の診断内容はかなり重篤ですから、克服への道のりは長く困難だとは思いますが、これからは少しづつでも、できることからで良いので、自分のことを認めてあげられるようになっていくといいですね
    人生なんて、完璧ではなくてもほどほど幸せになれたら合格点なんだと思います
    私はいつも60点くらいを目指すようにしています
    国試でも60点はギリギリ合格ラインになることが多いですから
    ただ、やはり主様がは理想が高く厳しい印象を受けますので、倫理や道徳などは、もう一度徹底して学ばれたほうが良いかも知れません
    もっと理想を高くするためではありません
    意外といけないと思っていたことが、そうでなかったり、救われることがあるかも知れないです
    そうでなければ、私は主様がそんなに苦しむはずはないと思います

    石になれない女 1か月前

    ありがとうございます。一旦立ち止まり考えてみましたが、私は自分で思っているよりは、自分を自由にしてこなかったのだろうと、自分自身に対する優しさも甘さも、無いままに人を求めたところで上手くは行かないだろうと、考えたくは無い事でありますが、人は、されてきたようにしか出来ないとも聞いています。
    私は自分の受けた扱いを相手に繰り返して自分を救うような無様さを、恐らくは許さないでしょう。多分今のままですと、まだ人を求める段階では無いことでしょう。そのあたりも冷静に考えればわかって参りました。そうです。どんな淋しさも悲しみも、握り潰して、深呼吸をして、何秒かこらえれば、収まることを私は知っています。血へどを吐くような苦しい時こそ笑顔で、人に優しくしていれば自分の耐久力を上げられることを知っています。しかし、根源的にそれは間違っていたかもしれません。心のままに泣いたり笑ったり出来ることが本当は一番素晴らしい。それにわかりやすいので皆安心します。共同体に受け入れても安心な相手と思ってもらいやすい。しかし私は、あらゆる共同体からは脅威と見なされ排除の対象となりました。わからないものは怖いのです。怖がらないで欲しかったけれど、仕方ないことです。さて、道徳、倫理、それらに対し極めて偏りある考えを植え付けられてきた事もまた事実であり、学び直せば恐らくは、それらの歪みの存在にも気付くことでしょう。どうしても世間一般の認識と私の主観視点の認識には果てしないズレがあるだろうことは事実でありますから。何とか、傷の無い状態に戻ることは不可能であっても、最低限のメンテナンスはしないといけませんので、まあ、頑張ってみます。私は哲学書を読むことで自分自身を救おうとしましたが、道徳、倫理は視界に入っておりませんで、とんだ盲点でした。再考致します。ありがとうございました。

    純子 |2024/7/24(水) 22:53 |ID:1056151

    それって片思い、ですかね?
    主さんが好きだったけど同性愛を受け入れられない(あれこれ理由を書いていますな要はそういうことですよね。)。
    なのに性的に惹かれた女性が忘れられない。
    執着っていうのではないでしょうか…。
    好きでなくても、性行為ができるなら風/俗などで女性との行為をしてみては。
    愛情が絡むと相手が気の毒です。
    カウンセリングを受けるなら古めかしい〜すべき、の鎧を脱ぐ練習ではないでしょうか。
    自分で自分を縛り、苦しめ、いい年して愚かな気がします。

    2
    愚か者より 1か月前

    私は愚かを生きています。選べる道など見えないほどに。今も苦しいですが、この苦しみがある限りは、いつまでも彼女がいるでしょう。人間の賢さには限りがあるようですが、愚かさはまさしく底なし沼であると身を持って知りました。まあ、相談する事はおかげさまでプラスにはなったようです。様々な選択肢、心にとめておきたく思います。ご回答、誠にありがとうございました。

    才能発見隊 |2024/7/25(木) 4:54 |ID:1056231

    他の回答者さんとの内容含め一通り読みました
    相談者さんの文章や言葉のチョイスは独特なセンスがあり小説を読んでる感覚になりました

    その経験を創作物に活かしてみては?
    ただ、25年の抑圧していたものを掘り起こす作業は、精神的苦痛を伴うかもしれません
    衝動的に自◯してしまうほど苦しみが付き纏うかもしれません
    後悔やネガティブの念は手放していく必要があります
    自分の感情を俯瞰して見る
    分離、分断しておく
    精神的ダメージを最小限にする工夫など

    赤裸々に書く必要もないですから、置いてきぼりになった心と一緒に、新たな自分を育ててみては?

    誰かの言葉や価値観に当てはめて擦り合わせなくても、この世の一般論や多数意見より、自分の経験や培ってきたものを一つ一つ育てていくと、埋もれて気づけなかった宝物を見つけることができます
    流されて生きている人には見つけることはできないそうです

    その宝物を手にしたとき、本当の意味で人は自由になれるのかもしれません
    本当の幸せとは

    相談者さんの、その文才
    ぜひこの世の人生に活かして前向きに生きてほしいなと思いました

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    石になれない女 1か月前

    おはようございます。メッセージありがとうございます。最近は眠りが浅いので明け方には起きております。そうですね、私が10代の頃には、男性にほぼ興味を持てないことに自覚はあり、周りの女性とは、恋愛の話も出来ず、共同体と著しく乖離した関係の中、強く不全感を持って、一人で生きて死ぬ覚悟を決めなければならないのだろうと、人生の早い段階でそのように思いました。幸いにして、国語の成績は異常に良く、様々な世界の文学に触れることが、生身の人間との不毛な時間を忘れさせてくれました。ロマン・ロラン、ドストエフスキー、シェイクスピア、今じゃ懐かしい青春時代の作家達です。再読したら、また新しい発見もあるかもしれません。私には単なる食事のような読書活動も、まあ、何かの足しにはなることもあるでしょうかね。私は苦しみの渦中にいるときは、案外平気な顔で黙っておりますが、過ぎ去ったことに近いので、気持ちの整理をつけたくて、重い口を開いた次第です。泣いたり笑ったり、喜んだり、怒りに我を忘れる人を見ると、人間はそもそも、こういうものだったのかもしれないなと、その自由さが、眩しくて、羨ましくなります。誰かに期待出来ることは、素敵なことだと思います。私も、そうなってみたい。結局のところ、私もまた、巨大な海の中で一瞬だけ弾けた飛沫同様にいつかは生まれてきた根源まで帰る結末しか無い。皆様と同じように。何かを残すつもりはなかった私ではありますが、取り返しのつかなくなる前に、自分自身に正直に生きなければ、私と似た道を行くことになると、今迷うどなたかへの、忠告は可能かもしれません。ただ、選べはする。苦しみを抱えて、生きることも。来世、または、地獄にて、最愛の女性と相見えることを最後の望みに生きることも、実は選べはする。そうなりたい人間がいるかはわからない。私はそれを選びたくなる誘惑と戦うことを選び、自分自身であろうと、生きはじめていることに、少し自分に期待はしているのです。仮に無駄な努力だったと知っても何もしなかったわけではないから。例え、打ちひしがれても己の怠惰さに殺されたわけではないと、今生の思い残しが減ればそれで構わないと思っております。ありがとうございました。

    才能発見隊 1か月前

    その文才は、国語の成績で証明されていたのですね
    日常の一部となり更に磨かれ、今に至ると知れて納得しました
    たくさんの言葉を目にしてきましたが、興味関心を持ったのは初めてかもしれません
    相談者さんの書く文章から生まれる物語を読んでみたいと思いました
    なので、迷うどなたかの忠告や言葉をあえて選ぶ必要はないと思います

    「気持ちの整理をつけたくて」
    それは、やっと「心に向き合う準備ができた」とも言えますよね
    一つ一つ掘り下げていると、思考や考え方も大人に成長していくので、自分らしい自分自身にたどり着いたとき、”やっと”スタート地点に到達したと言えるのかもしれません

    相談者さんが一歩踏み出し重い口を開いたことで、その存在を知ることができました
    私に影響を与えているので既に無駄ではないです

    私は感情の人ですが、元々は感情に疎く自身の気持ちさえわかりませんでした
    言葉にして伝えることの大切さを痛感して、日々研磨した結果にすぎません
    努力の結果です
    この人生が尽きる日まで成長過程ですから、お互いファイトですね

    凄い 1か月前

    まさに小説を読んでいるようで面白かったです。続きをどこかで書いてほしい。
    石さんの奥深くにある心情をもっと知りたくなってしまいました。
    感情を吐き出すのも大事ですよ。
    考えすぎて悩むよりもっと柔軟に、自分自身を枠にはめ込みすぎないようにしてほしいです。
    片思いというより後悔の念が強いだけだと思います。やらなかった後悔はいつまでも残りますから。別に異常ではないと思いますよ。

    石の子 1か月前

    後悔する思いは、確かにありますが、この痛みにより研がれたものもあるので、無駄な痛みであったと、言い切ることは出来ないように思うのです。ただ、私の気持ちだけならば、それだけを伝えることが出来たのなら、離れたのは嫌いでも憎いわけでもなく、愛していて、しかし臆病だったからだと伝えたかった。この世の中の誰にそしられようと貴女だけがいてくれたらそれで構わないと言ってくれた彼女の愛に真っ直ぐ向き合うことが出来なかったけれど、もし、再びこの人生が同じように繰り返されるなら、せめて誰の手にも渡したくないことや、服越しでは足りないことだけでも告げたい。そう願う気持ちはあるのです。今なお、想いは灯が灯ったまま、消えずに生きている。この痛みさえ今は愛しい。励まして下さりありがとうございました。

    火星人 1か月前

    違う人生を選んで改めて自分の内面に気付き、彼女への想いが強くなってしまっているんですね。石さんと同じような状況ではないにしても、同性愛者は好きな人に思いを伝えられず苦しんでいる人は沢山いますよ。

    ある映画で「自分は宇宙人で、今は宇宙から地球に留学に来ているだけだと思っている」みたいなことを言っていてなるほどと思いました。人と考え方が違う自分を否定せずに違う惑星の人なんだと思えば気持ちも楽になるのでは?とちょっと冗談まじりに思いました。

    石の子 1か月前

    昔、私は女の幸せとは結婚し子供を産み育て妻として、母としての座につき、家の歯車と成し、全て滞りなく回せれば、それに増したる幸せなど無いという強固な刷り込みを拭い去れず、一般化された幸せとやらを、個人の幸せのために、自他共に奪うことに正義があるのか、お前がしようとしていることは一体何だ、愛していると本当に思うならば、彼女の権利を奪う権利がお前にあるのかという内面から湧き出す責めの叫びの前に、為す術もなかった。私は、だからこそ、彼女を退けなければと、引き下がろうとしたのですが、彼女は、家の犠牲になる覚悟はとうに決めており、その上で一度、宿命に汚される前に私を求めようとした。その事が、抱き締める秒数のあまりの長さに、伝わらずにおかず、私は反射的に彼女を抱き潰すように応じた後で、ああ、このまま、お互いに⚪ねたらとさえ感じ、直後凄まじい罪の意識に苛まれたのです。どのような性別であろうと未来を築く方法があることを、知っていたなら別の道もあったことでしょうが、私にはとても、刷り込みを剥ぐだけの知識にも暗く、そのような文化の範囲外にしか生きていなかったため、絶望に目が眩んでしまったのです。しかし彼女は、そうではなかった。私と紡ぐ未来を、真っ直ぐ思い描いていた。例えそれが、不貞の道であろうと、結婚してからも、会えばいいと、しかし、私は恐ろしくて堪らなかった。誰の許しを求めていただろう。許しが、祝福が無ければと、あまりにも思いすぎていた。
    私は幼い頃から、この体は単なる魂の入る容器であって、アバターのようなものだと、感じてはいた。しかしそのアバターのありようで、こんなにも運命に振り回されることになろうとは思わなかった。たかが、そんなことで。たかが、性別が女であるために、押しつけられる役割だの、性のありようだの、まさしく、自分を、乗り込むアバターの選択を間違えた宇宙人のようには思っていました。私は、それでも、このアバターのまま生きざるを得ないから、何とかもがいてはいるのです。たまに、早く帰りたいと自宅に居ながらにして思っています。空を見上げると、どこか懐かしい感じがしますから、もしかしたら帰るべき場所はここではないのかもしれませんね。ありがとうございました。

    通りすがりのおばちゃん |2024/7/25(木) 19:22 |ID:1056475

    多分、主様と同世代だと思いますが、
    主様は文章が素敵だし、
    お友達になりたい位です。
    私は自由奔放に生きてきたので、
    正直主様みたいな人は尊敬しますね。

    0
    通りすがりのおばちゃん 1か月前

    烏滸がましくてすみません…。

    石の子 1か月前

    ありがとうございます。そのお気持ちだけでも大変嬉しいです。ただ、恥ずかしながら、未熟者であるために、人とは何か、自分とは何かを考えて、思い巡らす機会を持つことを増やしていきたいと思います。愛してくれる誰かを悲しませない人間になりたい。それだけのことがこんなにも難しいことだったなんて思いもしなかった。ただ、歩み続ける。そのことが、今の私には必要だから。感情のままに生きる人は美しいと思います。私もいつかはそうありたい。

    石の子 1か月前

    時に、私はよくここでは執着が強いと評されることが多いのですが、一つ質問しても良いでしょうか。私が感じていたことは、そもそも何だったのか。自分など忘れ、相手の苦しみを取り除きたいと願う気持ちで、死にかけた相手を救おうと手を尽くした記憶、吐いた吐息のぶんだけ、相手を思い、歩いた歩数の分だけ、相手を思い、自分などいくらでも差し出したいという願い、触れたいと思い、他の誰かに笑みを向ける相手のその行為に嫉妬し、自分だけのものにしたいと思い、その一方で、自分がどのように不遇でも、相手さえ幸せならばそれで構わない、誰に抱かれ、あるいは誰を抱いていようと。相手が成功している姿さえ見られるのなら、砂をかむような食事だろうと、地べたを這う虫のような暮らしでも出来る、その姿を見ることだけを自分の望みにしたいという気持ちには偽りはないのですが、これも執着なのでしょうか。もう解らなくなってまいりました。愛と執着の違いはそもそも何でしょうか。長い時間がたつうちに愛が変質したのでしょうか。上記のような思いで生きても、時折噴出する怒りにも似た情熱、悲しみ、嘆きを、そのたびに私は握りつぶして生きています。私はただ死んでいないだけの人間なのかもしれません。あなたにとって愛とはどのようなものですか。

    なな |2024/7/28(日) 10:14 |ID:1057759

    他者への執着が強烈に強すぎる。
    愛していない男に対しても、深い仲にもなれなかった女に対しても。
    人間への執着を手放すことはできないのでしょうか?この8年間、誰とも付き合っていない無機質な割には、その無機質が歪すぎて情念のような他者への執着を感じます。そこまでして人間に執着する理由は何なんでしょうね。私からみれば男だけでなく、女に対しても愛ではなく執着にしか思えません。何をそこまで自身を追い込む必要があるんでしょうか?

    安易すぎて怒られるかもしれませんが、ペットでも飼って無垢な愛情や癒しを感じる心を養うほうが感情的にも人間らしくなる気がします。

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    石の子 1か月前

    ご回答ありがとうございます。さあ、己を追い込んでいる自覚は無いので、申し訳ないのですが性分でしょうかね。これが日常茶飯事ですから、今更、というべきなのか、慣れてしまっておりまして。長年生き物は飼っていますよ。愛らしいですね。無垢な愛情は、癒されますね。大変可愛らしい。しかし、ひと言で言えば、焼け石に水でございます。まあ、残念なことに、極めて残念なことに、人間らしさとは、何かすらも、不明瞭な時すらありまして。何をもって、定義すべきかも、明確に人様に語れることを、持っている自信は私には無いのですよ。人は不完全な生き物ですね、言えることを限るならば、それのみです。不完全な形は違いますが、それぞれが自分なりの不完全さと歪みを抱えてはいるのだろうと、推測するのみです。失うことの痛みを感じることに、真っ向から飛び込み味わい尽くすこともまた人生。過剰な痛みは、麻痺させると大概は耐えうるようにはなりますが、柔らかい心も同時に失うことは間違いないでしょう。失ったものを取り返すことはなかなか容易ではありませんから、感情を鈍麻させることに対して、誰それとおすすめは出来ません。私はそれ以外選ぶ道も方法も見出せませんでしたが、心安らかに生きる道をご存じならば、それに越したることはありません。心安らかに、幸せにお過ごし下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。ご回答ありがとうございました。

    なな 1か月前

    手放すことをそこまで恐れることないのでは?手放すことは悪いことではないし無駄ではない。意固地になりすぎでは?
    でも主の人生だからそれも自由ですがね。でも文章を読む限り辛そうですし、悩んでるから書いたのでしょ?
    そうじゃないと言うならば、悩まずに自分自身に言い訳することなく確固たる意志でその気持ちを持ち続ければよいと思います。

    人は亡くなる。無になる時には、物質的なもの、見えない気持ちすらも持っていくことはできないのに、何でそこまで思い込みかもしれない愛情を引きずる必要があるのか?と私なら考える。
    人間の愛情は曖昧なもの。どれひとつ取っても完全なものはないし、完全にはなれない。それを認めて手放すことも大事。楽になる道も悪くないですよ。

    なな 1か月前

    あと…
    縁がない人はいくら想っても縁がないんですよ。
    自分の気持ちをどうにかしたい、あの時何とかならなかったのか?とあがくから苦しいしんですよ。
    人生には選択以前の縁てものがあるんですよ。それは認めましょう。

    それに本物の愛情とは、相手と添い遂げられなくても何もなくても遠くから持ち続ければいいだけのことです。
    それが無償の愛です。
    あの人は幸せに元気でやってるかな?単純にそう想えることが愛情なんです。決して自身の後悔の念や思い込みの深さで測れないものです。
    執着と愛は全く違うものです。
    ただの執着を愛だと思い続けるのは勝手ですが、私は愚かだと感じます。

    石の子 1か月前

    諌言、痛み入ります。そして貴重なご意見、誠に感謝申し上げます。

    さて。愛の定義とは、そもそも何か、多少思い返してみました。

    『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。』

    (コリント信徒への手紙 一 13章4節~7節)

    これに当てはまらない場合は人は真実の愛を知らないに等しいことになると私は幼少期から教わりました。私には実行はいずれも難しいことでしたね。

    迷いと愚かさの渦中にいる人間の目はどこまでも暗愚ですから、自分が溺れているのは、たかが深さの知れた浅瀬であると言うことを当事者はわからないもののようです。

    冷静になるとわかることさえも。

    そして何かを得るためには必ず何かを支払わなければならない。

    愛を失い、代わりに得たものに対しても思い返してみました。

    これについては多くは語りませんが、満足の得られる内容であるかと問われると、満足すべき内容であると答えるしか無いように思います。

    欲望には限りが無いので、全てを手にしなければ意味が無いように仮に自分自身に失望したとしても、ゼロではないことを私を取り巻く人々が教えてくる。

    あなたがいてくれてよかったと。

    今日は珍しく穏やかな気分です。皆様それぞれのお立場からの貴重なご意見を頂いて
    一つの視座から物事を判断する事の危うさと、自分自身を疑うことの大切さを、改めて考えさせられた思いです。

    このようにお話頂く機会を得られまして、大変実りのある時間でしたよ。どうぞ、健やかで、心和む時間をお過ごし下さい。